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静岡地方裁判所 平成元年(ワ)512号 判決

主文

一  原告らの各請求及び原告甲野二郎の請求を、いずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

(原告ら)

1 訴外日比育夫作成にかかり、同人及び訴外畑中勇二、訴外堀川和裕を立会証人とする昭和六三年一〇月二五日付の亡甲野太郎の死亡危急時遺言が無効であることを確認する。

2 被告が亡甲野太郎の相続権を有しないことを確認する。

3 被告は、原告らに対し、別紙不動産目録記載の各土地及び建物につき、静岡地方法務局藤枝出張所平成元年四月一三日受付第六四一六号をもってした昭和六三年一一月一三日相続を原因とする所有権移転登記の各抹消登記手続をせよ。

(原告甲野二郎)

4 被告は原告甲野二郎に対し、別紙動産目録記載の動産を引渡せ。

第二  事案の概要

一  本件は、

1 遺言が被告による遺言書の偽造ないし危急時遺言の要件を欠いて無効であるとして、原告らが、その無効及び被告に相続権のないことの各確認、並びに右遺言に基づき遺産に属する不動産についてなされた被告への所有権移転登記の抹消登記手続を

2 原告甲野二郎が所有権に基づいて、被告の占有する仏壇等の引渡しを

それぞれ求めた事案である。

二  前提となる事実(いずれも争いがない。)

1 原告らは、亡甲野太郎(以下、単に太郎という。)と同人の先妻亡甲野松子との間に生まれた子であり、被告は太郎の後妻である。

2 太郎は、重度糖尿病、慢性腎不全、高血圧症、両眼失明及び難聴等のため、昭和六三年九月二八日から静岡済生会総合病院(以下、本件病院という。)に入院し、そのまま同年一一月一三日に死亡したが、同年一〇月二五日に同病院において、医師訴外日比育夫(以下、日比医師という。)、同畑中勇二(以下、畑中医師という。)、同堀川和裕(以下、堀川医師という。)の証人としての立会いの下に危急時遺言をし(以下、本件遺言という。)、日比医師に対し口授して作成されたとする太郎の遺言書(以下、本件遺言書という。)が存在する。

3 被告は同年一一月一二日、静岡家庭裁判所に本件遺言の確認を請求し、同裁判所は同年一二月一四日に確認の審判をした(昭和六三年(家)第八五六号遺言の確認申立事件)。

その後被告は平成元年一月一六日、同裁判所に本件遺言書の検認を申立て(平成元年(家)第二七号遺言書検認申立事件)、同年一月一八日ころ原告らに対し検認期日が通知されて、原告らは本件遺言書の存在を知るに至った。

4 被告は、本件遺言書に基づいて、別紙不動産目録記載の各土地及び建物(以下、本件不動産という。)につき、静岡地方法務局藤枝出張所平成元年四月一三日受付第六四一六号をもって、昭和六三年一一月一三日相続を原因とする被告への所有権移転登記を経由した(以下、本件登記という。)。

5 被告は別紙動産目録記載の動産(仏壇、仏具、過去帳、霊具膳等一式。以下、本件仏壇等という。)を占有している。

三  原告らの主張

1 本件遺言書の偽造

本件遺言書は、太郎が前記の各疾病及び肺炎等のため、遺言の意思表示をすることができない状態であるのに、被告がこれを奇貨として、自ら起案して作成せしめた偽造のもので、これによる本件遺言は無効であり、遺言書を偽造した被告は相続欠格者となるべきものである。

(一) すなわち太郎はすでに八〇歳の高齢であったうえに前記の各疾病も重症であった。しかも、前記入院の前から日比医師らから人工透析を勧められていたにもかかわらず、被告が強く反対したために適切な時期に透析を行えなかったこともあって入院時の太郎の症状は重篤で、尿毒症も併発し、もはやこれ以上人工透析の導入を遅らせることのできない昭和六三年一〇月八日になって、漸く原告らの承諾の下に人工透析が実施されたのであるが、一般的に尿毒症の患者には抑うつ感、無力性、易疲労性がみられることが多く、頭痛、悪心、嘔吐に加え、時として易刺激的、過敏性になり、血中尿素窒素の量によっては軽い意識障害を生ずることもあるとされるが、太郎の場合は他の疾病の併発もあって、右のような一般的な症状よりもその状態は重篤で、同月一七日ころまでは、呼び掛けに対し応答することすらできず、傾眠状態に陥っていたのである。

その後、人工透析の効果により容態は最悪の状態を脱し、意識も回復して、直ちに死亡するおそれはない程度にはなったものの、依然として、通常の会話は勿論、その有する種々の財産をどのようにするかという問題についてまで考え、判断し、口授する能力はなく、遺言は不可能な状態であった。

(二) 本件遺言書の内容は、概ね、本件不動産及びその建物内の動産全部、現金、預金、証券類全部を被告に相続させ、その余は法律に従って相続させるというものになっている。

しかし、太郎は生前、藤枝市《番地略》所在の複数の建物のうちのより古い建物(《番地略》所在の建物)については原告甲野夏子に遺贈し、その収集していた陶器等は原告らにも分配することを常々話していたものであって、本件遺言書は右のような太郎の生前の言動と著しく矛盾する内容となっている。

さらに本件遺言書の内容は、一見して、明らかに被告のみに有利なもので、他の相続人に対しては何の配慮もなく、生前の太郎と原告らとの関係に徴せば、到底太郎の意思に基づくものとは考えられない。

このように本件遺言書の内容からしても、これが太郎の意思に基づくものでなく、被告によって偽造されたものであることは容易に察しうるのである。

2 危急時遺言の要件欠缺による無効

(一) 本件遺言書においては、第一に、太郎は立会証人らに遺言の趣旨を口授した事実がなく、第二に、本件遺言書が日比医師によって作成された後に、遺言者たる太郎にも立会証人らに対しても読み聞けがなされず、第三に、日比医師が太郎のいない右別室において清書し立会証人らが署名捺印した時点では、遺言者と立会証人らの関与は断絶し、遺言書作成の結果は太郎に知らされておらず、遺言は無効である。

(二) 法が遺言を厳格な要式行為としたのは遺言者の真意確保を担保するためであるから、その真意の表示である口授の要件を解釈上緩和しうるのは、遺言内容が証人に対し遺言者から能動的かつ直接的に表意され、遺言者の真意が証人にとって明白な場合でなければならず、こう解することによってのみ、遺言書作成過程に過誤の入り込む余地をなくそうとする法の趣旨を貫徹しうるのである。

本件では、遺言内容について証人の面前における遺言者からの能動的表意はなく、遺言者は終始受動的である。証人は遺言者から遺言内容を聞いたのではなく、遺言者がそのように述べているとの被告の言を信じ、あるいは当日同様のことを説明した被告訴訟代理人の小中信幸弁護士(以下、小中弁護士という。)の言を信じて証人となり、案文の読み上げ役を担ったにすぎない。また案文を作成した小中弁護士も遺言者から直接遺言内容を聞いたわけではなく、被告から聞いたにすぎないのであって、このような場合にまで法の定める遺言の要件を緩和すべきではない。

(三) また、本件遺言書中の「建物内の動産」とは具体的にいかなるものを指すのか明らかでなく、原告らの実母及び祖母の写真や位牌など、被告に相続させることは不自然なものまで、すべて一括して被告に相続させる如き記載となっているうえ、「現金、預金」は額が特定されておらず、「証券類」との記載も、具体的に何を指すのか漠然としており、そのため「その他の財産」の具体的内容も全く不明で、本件遺言はその内容においても特定しえないものといわざるを得ない。

3 本件登記の無効

右のとおり本件遺言は無効であり、かつ被告は本件遺言書を偽造した相続欠格者として相続権を有さず、原告らのみが相続人として本件不動産を相続し共有するものである。

よって、本件登記もまた無効であり、原告らは共有持分権に基づいて、被告に対し本件登記の抹消登記手続を求める。

4 本件仏壇等の引渡請求

本件仏壇等は、原告甲野二郎(以下、原告二郎という。)が、太郎の死後、その位牌を安置するために購入したもので、同原告の所有である。

よって、原告二郎は所有権に基づいてその引渡しを求める。

四  被告の主張

1 本件遺言の有効性について

(一) 本件遺言及び本件遺言書作成の経緯

(1) 太郎が本件病院に入院中の昭和六三年一〇月二三日、病室に来た原告甲野一郎(以下、原告一郎という。)は、太郎の枕元で被告に対し、訴外甲野化学工業株式会社(以下、訴外会社という。)の代表取締役会長としての太郎の報酬を大幅に減額すること及び被告に対する同社の従業員としての給料の支給も打ち切ることを告げ、被告と激しいやり取りがあったが、これを聞いていた太郎は、原告一郎が帰った後、被告に対し、「あまり言っても仕方がない。いつも話しているように、お前が安心して暮らせるように家屋敷と家財や預金などはお前にやるように遺言を残しておくから、弁護士さんに頼みなさい。」と述べて、遺言をなす意思表示をした。

(2) 太郎の意を受けた被告は、同日夜、小中弁護士に電話で事情を告げたところ、本件病院の医師らを証人として死亡危急時遺言をなすことを勧められ、翌二四日、太郎に対し、同病院の医師らに証人になってもらうことや、遺言執行者として同弁護士の事務所の女性弁護士を選任することについて尋ね、その同意を得た後、同日午後四時ころ日比医師らに証人となることを依頼したが、同席した堀川医師が弁護士立会いの下でないと難しいと述べたことから、同日夕方に再び小中弁護士に電話で、立会いと太郎の前記遺言の意思表示に基づく遺言書草案の作成を依頼した。

(3) 翌一〇月二五日午後四時ころ、小中弁護士が本件病院を訪れて、日比医師、畑中医師、堀川医師の三名に危急時遺言の意味と遺言書作成の手続を説明し、あらためて証人となることの承諾を得た。その際、同弁護士が作成した遺言書の草案を日比医師らに示し、被告が太郎から聞いた遺言の内容に基づいて作成したものであることを説明し、日比医師から各項目のそれぞれについて太郎自身に確認してくれるように依頼した。

なお、日比医師及び畑中医師は、同日それぞれに太郎を診察して、病状に変化はなく、その意識状態が良好であることを確認している。

(4) その後、三名の医師と被告及び小中弁護士が病室に行き、日比医師ら三名の証人が太郎の枕元に立ち、まず日比医師が太郎に対して遺言をする意思があることを確認し、遺言書草案の各項目を一言一句ゆっくり読み上げて太郎の確認を求めたところ、太郎は読み上げている途中で頷き、各項目を読み終わったところで、その都度「はい」と答えた。

最後の遺言執行人の項目を読み上げたときは、太郎が女性弁護士の名前を知らされていなかったため、すぐに返事をせずに首を傾げたことから、被告が、「相続の手続をとってもらう知り合いの女性の弁護士さんですよ。」と説明すると、「うん」と答え、日比医師があらためて「いいですか。」と確認すると、「はい」と答えた。こうして全部の項目についての確認が終わってから、日比医師が「これで遺言書を作成しますがよろしいですね。」と述べて再確認を求めたところ、太郎は、「よろしくお願いします。ありがとうございました。」と述べた。

(5) 遺言書草案の内容の確認が終わってから、証人の日比医師らは、執務机のある医師室に移って日比医師が太郎に確認した草案のとおり遺言書を清書し、まず日比医師が署名捺印してから、他の二人の医師がそれぞれ遺言書の内容を読んで確認のうえ署名捺印し、日比医師が完成した遺言書を被告に渡し、被告がこれを小中弁護士に渡して保管するように依頼した。

(二) 危急時遺言の要件について

(1) 本件遺言の趣旨は、本件不動産及び現金・預金等を妻である被告に遺贈するという単純な内容であるうえ、最初の三項目はそれぞれ「藤枝市《番地略》の建物と土地」、「右建物内の動産全部」、「現金、預金、証券類全部」を妻である被告に相続させるとの内容になっており、第四項及び第五項は「その他の財産」及び「遺言執行者」に関する項目である。

各項目とも内容は極めて単純明瞭であるから、日比医師が項目をゆっくり読み上げることにより、太郎は、被告に告げた遺言の内容が遺言書草案に正しく書かれているかどうかを十分に理解することができ、各項目が読み上げられるごとに「はい」と言って内容を確認し、自分が納得いかない条項には首を傾げて意思表示し、内容につき説明を受けて納得した後に「はい」と言って確認したものである。

このように、太郎は、遺言内容を確認しようとした日比医師に対して、自己の意思を積極的に表示することにより、遺言書作成に関与したのであり、原告らが主張するように遺言書草案を単純に受動的に肯定したにすぎないわけではない。

(2) 遺言の趣旨の口授について

本件遺言及び本件遺言書が作成された経過は前述のとおりであり、これによれば、立会証人と遺言者である太郎との口頭による問答からして、太郎において本件遺言書の内容の遺言をする意思の口頭による表示があったことが明らかであるから、遺言の趣旨の口授があったものと解される。

(3) 遺言筆記後の読み聞かせについて

イ 本件遺言の立会証人の一人である日比医師が遺言書草案に基づいて本件遺言書を清書した後に読み聞かせをしていないことは事実であるが、本件遺言書が作成された前述のような経過に照らせば、右事実は民法が遺言書の読み聞かせを要件としている趣旨に何ら反するものではない。

ロ すなわち、民法が死亡危急時遺言につき、証人三名以上の立会い、証人一人に対する趣旨の口授、証人による筆記、遺言書の読み聞かせ、遺言者と証人の承認、証人全員の署名捺印という方式を規定しているのは、あくまでも遺言者の真意を確認、担保することを目的とするものである。特に、証人が筆記した遺言書の内容の読み聞かせを行うことを方式としているのは、口授された遺言の趣旨が正確に筆記されていることを確認するためである。

ハ 本件では、遺言者である太郎が被告に対してなした意思表示に基づいて小中弁護士が作成した遺言書草案の条項を、証人の一人である日比医師が他の二人の証人の面前で、太郎に対してゆっくり読み上げてその意思を確認した後、同医師が右草案に基づいて遺言書を清書し、同人及び他の二名の証人がこれに署名捺印したものである。

以上の手続は、法が予定する口授・筆記・読み聞かせという順序を厳密に順守していない。しかし、読み上げられた遺言書草案の内容は、本件遺言書の内容と全く同一のものであるから、遺言書草案を読み上げて、各条項について太郎の意思を確認したことによって、先に口授のあった遺言を筆記した遺言書の読み聞かせをして遺言者及び証人の承認をとる場合と比較して、遺言者である太郎の意思が遺言書に正確に表示されていることを確認するうえで、全く同じ効果を有するものといわなければならない。

ニ 以上のとおりであるから、本件遺言書が日比医師により清書されてから読み聞かせがなされなかったことは、死亡危急時遺言の要件を欠くことにはならない。

(4) 別室における遺言書への署名捺印について

本件遺言書が遺言者である太郎の面前ではなく、別室で証人三名により署名捺印されたことは事実であるが、もともと民法が遺言書に証人三名による署名捺印を要求しているのは、これらの署名捺印によって口授された遺言の趣旨の筆記が正確になされていることを担保しようとするものであり、本件遺言書の場合のように、遺言者の意思を遺言書草案に基づいて確認した後、直ちに証人の一人が別室で右草案のとおり遺言書を清書して証人三名が署名捺印した場合には、民法の規定にしたがって適式に証人の署名捺印がなされたものと解される。

2 本件遺言当時の太郎の意思能力及び遺言能力について

原告らは、本件遺言当時、太郎には遺言をなすに足る能力がなかった旨主張するが、太郎は、一時的には意識混濁、呼吸困難の危険な状態に陥ったものの、昭和六三年一〇月八日に人工透析を始めてからは、次第に症状が回復し、同月中旬ころには意識も完全に回復していた。

畑中医師作成の入院経過要約には、「人工透析導入後、全身状態不良にて継続が危ぶまれたが、比較的良好な経過をとり、腸閉塞も改善し、意識水準も明瞭となった。」旨記載され、看護記録においても、同月二〇日から同月末までの部分には、その間太郎の意識が明瞭であり、看護婦の問いに対し通常の受け答えをしていたことを示す箇所が随所に現れている。

また日比医師は、前記遺言の確認申立事件における家庭裁判所調査官の調査に対し、遺言をなす際に同医師が本件遺言書の内容を太郎の枕元で一言一句ゆっくり読み上げて確認したところ、太郎は、それに対して頷き、重要なところではしっかりした口調で「はい」と応答し、同医師の言葉に真剣に耳を傾けての応答であったので太郎の真意と受け止めたこと、最後の段階になって「これでよろしいですね。」と再確認したところ「よろしくお願いします。ありがとうございました。」という応答があったことを述べている。他の立会証人の畑中、堀川各医師もこれと同趣旨のことを述べているのである。

本件遺言当時、太郎に意思能力及び遺言能力があったことは一点の疑いもない。

3 仏壇等について

本件仏壇等は、太郎の四十九日の法事を迎えるにあたり、香典から代金を出して購入したものである。したがって、これは被告と原告ら四名の共有に属するものというべきで、これら共有者の合意に基づいて被告方に安置して太郎の霊を供養しているのである。

五  争点

1 本件遺言書は被告の偽造にかかるものか否か。

2 本件遺言は危急時遺言の要件を具備しているか。

3 本件仏壇等の所有権の帰属。

第三  争点に対する判断

一  本件遺言にかかる請求について

1 本件遺言及び本件遺言書作成の経緯

《証拠略》によれば、本件遺言書作成に至るまでの経緯として、次の各事実が認められる。

(一) 太郎(明治四一年一一月六日生)は昭和三二年四月に各種電気絶縁部品やプラスチック製品の製造販売等を目的とする訴外会社を設立して代表取締役になり、長男の原告一郎、二男の原告二郎を取締役にして、昭和六二年一一月に病気のため原告一郎に代表権を付与するまでは、太郎が代表者としてその経営にあたっていた。

また原告らの母親甲野松子は昭和三二年二月に死亡しており、太郎は昭和三五年一一月被告と再婚して、昭和三七年に原告二郎が結婚して別世帯になってからは、本件不動産を住居として被告と二人の生活を続け、昭和六二、三年当時には訴外会社から太郎は月額一七〇万円の役員報酬、被告は従業員として月額七万円の給与を得ていた。

(二) 昭和六二年九月六日、太郎は突然眼底出血を起こし、急遽東京女子医大付属病院で診察を受けたところ、すでに相当以前から糖尿病に罹患していて、症状もかなり進行していたことが判り、同月二四日から約二週間同病院に入院して治療を受け、その後昭和六三年一月四日から同月二〇日まで本件病院の眼科に入院して視力回復のための手術を受けたが十分には回復せず、以後自宅で療養しながら通院を続けていたところ、同年八月初めになって血痰が出たため同月三日から一九日まで本件病院腎臓内科に入院し、糖尿病と慢性腎不全の治療を受けた結果、症状が安定したことから一時退院した。

(三) しかし、その後同年九月二八日になって腸管の神経麻痺による重症の腸閉塞を起こして再び本件病院に緊急入院し、尿毒症も併発して一時は相当に重篤な症状を呈して意識も朦朧とした状態が続き、心不全も心配されたため、同年一〇月八日から人工透析を導入したところ、次第に病状は回復に向かい、意識も清明になり、看護記録によっても、

同月一五日 自分から発声し「大丈夫みたいです」

同月一六日 気分を問うと「悪い」とpt(患者の意)

同月一八日 (痰の)吸引時、おこって「あんたは悪い女だな」とハッキリ発声聞かれる

同月一九日 呼名に対し「ハイ」と返答あり

同月二一日 息苦しさなし、「お茶がおいしかった」と

pt「おやすみ」と

同月二二日 ギャジアップにて起座位になっている。「だいぶ疲れたね」とpt「だいぶ楽になってきた」と自ら話しかけてくる

同月二三日 重湯一〇〇ml摂取あり、「うまい」と一言あり

「背中が痛い」、早く点滴抜きたいですねと言うと「まだ無理でしょう」

同月二四日 「何ともありません」と開眼している、活気あり

問いに対し、はっきりと答える

同月二五日 気分不快なく「かわりない」とpt

同月二七日 「もう起きたいくらいだよ」とpt言う

同月三〇日 意識明瞭で目をぱっちり開いている。「おかげ様で良くなりました」、食欲あり「美味しい」と

などの記載が見られるように、看護婦との応答もでき、その内容におかしな点はみられず、相手の発言も十分に理解して返答している様子が窺われ、またこの間の医師の診察の際にも的確な応答ができ、苦痛なども自ら訴え、意識ははっきりとして格別の障害はみられなかった。

(四) こうしたなかで、太郎と被告は同月二二日、二三日と被告の妹や姪夫婦らの見舞いを受けるなどしていたが、同月二三日右見舞客の帰った後、被告は太郎の病室で、原告一郎から、税務署の指導で、働けない状態の太郎に高額の報酬を払い続けることはできず、これからは月額七万円に減額すること、被告に対する給料の支払いも続けられないので打ち切ること、七万円と年金とで生活ができなければ訴外会社から借金すればよいことなどを告げられ、被告は今後の太郎の病院代や自分たちの生活費のことを不安に思い、また病床にある太郎の前でそのような話をする原告一郎に腹を立てながら、太郎が以前話していた訴外会社の持株の件や訴外会社への貸付金の件を原告一郎に問い質したが、同原告は、株のことは被告には関係ない、貸付金についても証拠がない旨答えて取り合わず、被告から保険証の返還を受けて帰ってしまった。

太郎は、原告一郎と被告のこのやりとりを聞いていた様子で、同原告が帰った後、病室に太郎と被告の二人だけになった際、被告に対し、「お前が安心して暮らせるようにしてやる。」、「弁護士さんに頼んで、家屋敷と家財や預金などはお前にやるよう遺言をつくってもらえ。」と遺言書の作成を指示し、これからの生活に不安を覚えた被告もこれを了解した。

(五) 被告は同夜、自宅から電話で小中弁護士に右の事情を告げて相談したところ、同弁護士から、病院の医師を証人として危急時遺言をすること、遺言執行者には同弁護士の事務所の女性弁護士を推薦する旨の助言を得た。

翌一〇月二四日被告は病院に行って、太郎にこれを報告し、あらためて承諾を得た後、日比医師、畑中医師、堀川医師の三名に事情を説明して遺言の証人となることを依頼し、太郎の状態から今なら大丈夫という日比医師らの承諾を得たものの、堀川医師から弁護士の立会いを求められたため、再度小中弁護士に電話連絡をして、翌二五日の午後に同弁護士の立会いを得て、遺言書を作成することとなった。

そして、同月二五日午後四時すぎころ本件病院を訪れた小中弁護士は、医師室で前記三名の医師に対して、危急時遺言の意味や遺言書作成の手続について説明し、また同弁護士が被告から電話で聞いた遺言の内容に基づいて作成してきた遺言書の草案を示して、これに基づいて太郎の遺言意思を確認するように依頼した後、右三名の医師、小中弁護士、被告が病室に赴いて、太郎のベッドの右側に日比医師と堀川医師が、左側に畑中医師が立って、枕元で日比医師が太郎に「遺言をなさるそうですね。」と言うと、太郎は「はい。」と答え、その後日比医師が「読み上げますからそのとおりであるかどうか聞いていって下さい。」と言って、前記草案に基づいて一項目ずつゆっくりと読み上げ、太郎はその都度頷きながら「はい」と返事をし、最後の遺言執行者の弁護士の名前を日比医師が読み上げたところで首を傾げる仕種をしたので、被告が相続の手続をとってもらう知り合いの弁護士である旨説明すると、太郎は「うん」と答え、日比医師が重ねて「いいですか。」と尋ねると「はい」と答え、最後に日比医師が「これで遺言書を作りますけれどもいいですね。」と確かめると、太郎は「よくわかりました。よろしくお願いします。」と答えた。

それから三名の医師らは病室から医師室に戻って、日比医師が右確認した草案の内容のとおりに遺言書を清書して署名捺印し、他の医師二名もこれを読んだうえそれぞれ署名捺印して本件遺言書を作成し、これを被告に渡して、被告はその場で小中弁護士に保管を依頼して手渡した。

なお、右日比医師および畑中医師は、遺言書作成当日に太郎を診察しているが、当日の太郎の意識状態は清明であり、また三名の医師とも、右遺言時の太郎の様子に照らしても、太郎の意識ははっきりとした状態で、判断力もあり、日比医師が読み上げた遺言の内容については十分に理解して返答していた旨証言している。

(六)その後、前述のとおりしばらくの間は太郎の状態は安定し、意識も清明であったが、同年一一月一一日の食事中に誤嚥したため呼吸困難をきたして容態が急変し、同月一三日午前六時一七分急性心不全により死亡した。

2 本件遺言の有効性について

(一) 本件遺言は危急時遺言としてなされたものであるところ、危急時遺言の要件についての民法九七六条一項の定めに照らして、本件では、あらかじめ小中弁護士によって作成された遺言書の草案を前述のような方法で太郎に確認したことが、太郎から証人が遺言の趣旨の口授を受けたものといえるかどうか、また証人が口授を受ける前にすでに草案が作成されており、日比医師による筆記(清書)もこの草案に基づいてなされていること、さらに日比医師が清書した後に遺言者や他の証人に対して読み聞かせを行っていないことといった手順の相違が、法所定の要件を欠くことにならないかが問題となる。

(二) そこで検討するに、法が危急時遺言において遺言者の口授を必要としているのは、遺言者自らが遺言書を作成せず、第三者が遺言書の意思に基づいてこれを作成するものであることから、遺言者が特定の内容の遺言をする意思を有することを外部的に確認するために最も適当な方法として遺言者の口授を求めているものと解されるのであって、この趣旨からすれば、口授というためには、問い掛けに頷くというような挙動のみでは足りないものの、遺言者が特定の内容の遺言をなす意思を有することが外部的に確認できるだけの口述があれば足り、遺言の内容のすべてを遺言者が口述することまでの必要はないというべきである。そして、具体的に遺言者がどの程度の口述をすれば足りるかは、単に口述した言葉のみをもって判断すべきではなく、遺言者の心身の状態や証人との応答の様子と経過、内容などをも勘案して総合的に判断されるべきものである。

これを本件についてみると、前記認定したように、太郎は全身状態の悪化により一時は意識が朦朧とした状態にあったものの、昭和六三年一〇月八日に人工透析が導入されてからは、日ごとに状態は改善に向かい、本件遺言をなす一〇日前ころからは自身の状態について自ら発声して訴えることができるようになり、その後医師や看護婦との応答も的確になしうる状態に戻っていたもので、また本件遺言をなした際にも、日比医師の質問に的確に答え、各項目が読み上げられると頷くとともにその都度「はい」と返事をし、遺言執行者として聞き覚えのない弁護士の名前が読み上げられると首を傾げる仕種をし、最後に日比医師からの「これで遺言書を作りますけれどもいいですね。」との確認に対しても「よくわかりました。よろしくお願いします。」と述べているのであり、加えて本件遺言の内容が、遺言執行者の点を除けば、前述のように太郎と被告とが長年にわたって生活してきた住居である本件不動産と、その建物内の動産そして預貯金と証券類を被告に相続させ、その他の財産は法律にしたがって相続させるとの、被告の現在の生活を保持させようとする点で一貫した、しかも比較的簡単な内容で、当時の太郎の病状に照らしてみても、同人が十分に理解し判断することができたものと思われるものであることをも併せ考慮すると、本件における太郎の口述をもって遺言の要件としての口授があったものと認めるのが相当である。

なお、前述のように太郎に対し遺言の意思と遺言の内容の確認がなされ、太郎からの右のような口述が存する以上、遺言書の草案の作成者である小中弁護士が太郎自身から直接遺言内容を聞いていなかったとしても、右判断を左右するものではない。

(三) また、右口授の前にすでに遺言書の草案が作成されていた点は、遺言者に遺言意思を確認するための方法としてなされたものに過ぎず、遺言書は、右草案の各項目を順次読み上げて一々太郎に確める方法で日比医師ら三名の証人が太郎の遺言意思を確認し口授を受けた後に、日比医師によってあらためて作成されているのであって、格別問題となるものではない。

さらに日比医師が遺言書を清書作成した後に、遺言者や他の証人に対して読み聞かせを行っていない点についても、全く同内容の草案に基づいて、日比医師がこれを逐一読み上げる形で太郎の意思を他の証人立会いの下に確認し、その後同医師が右草案と同内容の遺言書を作成して他の証人がその内容を読んで確認し署名捺印している経緯に照らせば、草案の内容と太郎の口授した内容、そして日比医師の作成した遺言書の内容はいずれも全く一致しているものと認められるのであって、本件遺言は実質的には証人による筆記と読み聞かせとが前後したにすぎないものともいうことができ、読み聞かせの要件は充足しているものと解するのが相当である。

(四) また原告らは、本件遺言の内容の不特定をも理由にして遺言の無効を主張するが、その指摘するところは遺言内容の解釈に属する問題に過ぎず、格別本件遺言の内容が特定しえないものということはできない。

以上によれば、本件遺言及び本件遺言書の作成は、いずれも適法かつ有効なものと認められる。

3 遺言書偽造の主張について

原告らは本件遺言書の作成時、太郎は傾眠状態に陥っていて、日常の会話は勿論、その有する財産の処理について判断したり、これを口授する能力はなく、遺言は不可能な状態にあったものであり、また本件遺言書の内容においても太郎の生前の言動と著しく矛盾していて、本件遺言書は被告が偽造したものであると主張し、証人甲野秋子(原告一郎の妻)、証人甲野冬子(原告二郎の妻)、原告乙山春子、同一郎はこれに沿った証言及び供述をしているのであるが、本件遺言及び本件遺言書作成の経緯、並びにその際の太郎の状態については前記認定したとおりであって、これに反する右各証言及び供述は前掲の各証拠、ことに遺言の際の証人になった前記三名の医師の証言や看護記録における記載内容に照らして信用できず、他に前記認定を覆して太郎が遺言が不可能な状態にあったことを認めるに足る証拠はない。

また本件遺言書の内容についても、昭和四八年に太郎が自ら書いたと認められる遺言状の内容と比較してみると、右遺言状で言及している被告の死亡後における本件不動産や陶器類、訴外会社の株式の処理について本件遺言書では触れられておらず、反面右遺言状では訴外会社の持株の四割を被告に相続させるとしているのが本件遺言書では明確には触れていないなどの相違があるものの、両者は基本的な点では大きく異なるものではなく、したがって本件遺言書の内容が必ずしも太郎の生前の考えに反するものということはできない。

そして、他に本件遺言書が被告の偽造にかかるものであることを認めるに足るような証拠は存しない。

4 以上のとおり、本件遺言は有効であって、被告による遺言書の偽造も認めることはできず、したがって、原告らの本件遺言の無効及び被告が相続権を有しないことの各確認を求める請求、並びにそれを前提に本件登記の抹消登記手続を求める請求はいずれも理由がない。

二  本件仏壇等にかかる原告二郎の請求について

《証拠略》によれば、太郎の葬儀については、原告一郎や同二郎が主体となってこれを執り行ない、その費用として本件仏壇等の購入代金一〇五万円を含め合計一〇三五万円余を要したが、これには香典四七二万二〇〇〇円から香典返しの費用を差し引いた残額を充て、不足分七六七万円余については原告らが立替負担していること(各原告の負担額についてはこれを認めるに足る証拠がない。)、本件仏壇等については被告の居住する本件建物に安置して太郎の供養をするために原告らと被告とで購入したもので、それゆえに購入先の愛知葬祭では被告を発注者として被告宛てに納品し、その代金は原告二郎が葬儀費用の一部として立替払いしており、本件遺言に関する紛争が起こったために被告を含めての葬儀費用の分担の協議が整わないことから、被告は費用を支出していないが、原告二郎ひとりが本件仏壇等をその単独所有とする意思で購入したものでもないことがそれぞれ認められるのであって、これによれば本件仏壇等については最終的な所有権の帰属について購入者たる原告らと被告の間で協議がなされておらず、強いていえばその共有に属する状態にあるものというのが相当であり、その他本件全証拠によっても本件仏壇等が原告二郎の単独所有に属するような事実は認められず、したがってそれを前提とする同原告の被告に対する本件仏壇等の引渡しの請求は認められない。

三  結論

よって原告らの被告に対する本訴各請求及び原告二郎の被告に対する本件仏壇等の引渡請求は、いずれも理由がないので、これを棄却する。

(裁判官 西島幸夫)

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